弁護士は、出張でいろんな町に足を運ぶ。
こればっかりは、弁護士の特権かもしれない。
それなのに、何も記録を残せていないと気づきました。
そこで、せっかくの機会なので、気に入った町について語りたいと思うのです。
※令和6年(2024年)11月現在
※あえて、写真を載せていません。
載せることで記憶が変わってしまってはならないという思いからです。
※法的文書ではありません。文法や表現方法は、筆者の個性を反映しています。
第1 福岡市早良区って??
福岡市というと、福岡県の県庁所在地だ。
「千代県庁口」という、小学生が県庁所在地を覚えるにはあまりにもありがたい駅まである。
博多や天神、そして箱崎九大前(と思っているのは筆者のこだわりです。勘弁してくださいね。)を思い浮かべる人が多いだろう。
九州最大の都市、福岡。
昭和54年の大ヒット曲、クリスタルキングの「大都会」で歌われたのは、東京ではなくこの福岡の地である。
福岡の玄関というと、博多駅と福岡空港である。多くの場合、福岡市営地下鉄を使って、目的地まで足を運ぶ。
今回私が選んだ早良区は、そんな目的地の一つである。
私が書生の頃に、住んでいた町である。
地下鉄の駅でいうと、唐人町、西新、藤崎であろうか。
第2 早良区の見どころ
1 見どころはここ
⑴ 百道(ももち)浜
まずはなんと言っても、百道(ももち)浜であろう。
「ももち」というと、アイドルっぽいが、その名のとおりかわいらしい風景が広がる。
大都会福岡ながら、綺麗に整備された海岸が広がる。
坂も多くないし、自転車で走ると気持ちが良いのだろう。当時自転車を持っていなかったのが惜しまれる。
夏になると、海岸で遊ぶ子やアベックも多い。
⑵ 「元寇」防塁跡
それから、小学校の歴史の教科書で出てくる「元寇」の防塁が残されている。
弘安4年の「弘安の役」は、明治38年の日本海海戦と並ぶ大海戦である。
その史跡が今も残されている。
歴史マニアにとっては、たまらない場所だ。訪れずにはいられない。
昔はズラーっと並んでいたそうだが、一部は解体されてしまったそうで、今は修猷館高校のそばにひっそりと残されている。
私も小学校6年生の時、両親にお願いして「元寇」防塁跡を見に行った。
が、帰りに天神で新幹線の模型を買ってもらったことが一番の思い出だ。
その意味は、深く解釈しないでもらいたい。
⑶ 西新商店街
これははずせない!!というのが、西新商店街。
昼時になると、リアカーを引いたおじちゃんやおばちゃんや、たこ焼き屋さんがいろんな物を売っている。
私が書生の頃は、西新に住んでいた。
どうしてもお金がなかった。
そんな時によく、目に留まった。なんなんだ、あの美味しそうなたこやき弁当は!!
私が書生の頃は、書店があり、そしてその近くに洒落た洋食レストランがあった。名前は、忘れた。
閉店してしまったと記憶している。
→後日思い出しました。
レストラン「むらた」さんです。確かに閉店してしまっておりました。。。
大学で一番大切な友達と一緒に行った(と思う。今、友達に確認中)。
美味しい揚げ物屋もあった。
それから、早良郵便局のすぐそばにおいしいちゃんぽん屋があった。
かつては、西新プラリバという商業施設があった。
中にあるダイソーや書店が、貧乏書生である当時の私にはありがたかった。
ブックオフもあったが、私が福岡を去った頃にはなくなった。
⑷ まとめ
贅沢品は売っていないけれど、見どころたくさん。
2 宿泊するならここ(宣伝目的はありません)
何と言っても、百道浜はご覧いただきたい。
唐人町駅から少し歩くが、「paypayドーム」の近くにホテルがある。
私は、福岡に宿泊するならここだと思う。
宿泊するなら、この辺かなあ・・・
天神や博多に宿泊するのが一番便利だろうが、私は敢えてここを推したい!!
第3 早良区と私
中学生以来、CHAGE and ASKAの熱狂的ファンである私は、深く考えずに九州大学法学部に進学した。
鹿児島出身の私にとって、福岡が「大都会」だった。
そして、彼らの故郷である福岡にあるからというのもある。(迷わずに、SAY YES、である。)
大学2年生から、私は早良区の西新の寮に住んでいた。
寮といっても、他大学の書生から単身赴任している社会人まで、色んな人が住んでいた。
近くに西南学院大学があるので、西南学院大の学生もたくさん。
大学3年生の後期になると、ゼミが中心。
大学の授業を受ける中、たまたま伊藤塾の伊藤真先生に出会い、そして司法試験の勉強を始めた。
大学で学ぶことは難しかった。
そして頭が痺れる毎日だった。
「それでも、どんなに苦しくとも」。
西新の商店街や百道浜が優しく出迎えてくれた。
当然、落ち込むことだってある。
夜、どうしても眠れない時には音楽を聴きながら百道浜を散歩した。
司法試験の勉強を始めた大学2年生から大学3年生の頃には、特に多かった。
結果的に、福岡を出て上京することになった。
大学を卒業する時。
平成27年の3月だったか、弁護士になったら、「必ず『ここ』に戻る。」と思った。
あれからもう10年。
なんとか、弁護士にはなりました。
しかし、私はまだ東京にいます。
気づけば、福岡にいた時間より、多くを東京で過ごしてしまっている。
これからあとどのくらい私に時間が残されているのかはわかりません。
でも、「ここ」に戻りたい。「あそこ」ではなく「ここ」に戻りたい。
心の本籍地であるかのような福岡について、そう思いながら、私は今、パソコンを叩いているのです。